一話・ジーナ

  魔法使いたちが消えて七年ほど経ったけど、そんな事は学園の女子たちにはまったく無関係だ。


 彼女たちが問題にしているのは、恋とか彼氏とか学園の不思議とか、転校生の事とか。何年も前の出来事より、一分一秒のフレッシュな話題が重要だ。


 彼氏ができただのイケメンだの、一ミリ単位の寝癖とか、新しいメイクとか、一つの話題が何重もの大合唱に教室の中が膨らんでいくよう。そこに「魔法」の字は一つもない。


 男だの女だのささやき合い、女子たちはひそひそ笑い男子たちは横目でそわそわ。他にやる事はないのかと思うけど、魔法がなくなったこの学園にそれ以上のものは確かに何もない。


 そろそろ、女子たちが私を呼ぶ頃だろうか。


「ジーナ。チェイルが呼んでるよ」


 ほら来た。クラスメイトが好奇の目で呼びに来た。そして飽きもせず「ねぇ、二人は本当は付き合ってるんでしょ?」と尋ねる。これが毎日! 日々ループしているかと思う。私も決まって「ただの友達」と答える。鳥に仕込んで答えさせようか。


「絶対付き合ってるよねー。登校も毎日一緒だし」

「幼馴染って言うけど、そういうのって大抵くっつくよね」

「噂では同棲してるって。いいなぁー」


 ほんっと、毎日飽きないんだから。事実にかすりもしない事をよくもまあ、いつまでも言える。呆れを通り越して尊敬する。


 クラスメイトの視線を背中に受けつつも、元凶に会いに行く。


 廊下に出ると、背の高い犬……に見える男がそわそわと回っている。怯えたように背中を丸めて、両手をもじもじ絡めてその場をぐるぐる。情けない姿にため息が出る。


「チェイル」


 私が呼ぶとチェイルはパッと顔を輝かせた。家に帰った主人を喜ぶ犬みたいに目が輝く。


「なーちゃん! 教科書貸して!」


 ……こいつは男で犬でも子どもでもなんでもなく、恥ずかしげもなく私を「なーちゃん」と呼んでお願いのポーズをするような、そういう奴ということにしておいてほしい。


「今日も教科書忘れちゃって……だから、ね?」


 よく言えば純真無垢、私から見れば気色悪い男だが、チェイルは演じているわけでもなく、素でこれなのだから……人格を否定してはいけない。


「そんなことだろうと思ったから。はい、これ。歴史の教科書」

「すごい! なーちゃん天才! 俺のクラスの授業までわかってるの?」

「なーちゃんはやめて」


 昨日確認したから、とは言わない。チェイルは必ず忘れ物をするから、確認も何もすでに、呼吸するように準備できる。 


「ありがとう! これで怒られないよ。あ、そろそろ予鈴が鳴るよね。じゃあまたね、昼休みに」


 チェイルは笑って走って、先生に怒られて、クラスへ戻った。


 私を利用しているならまだしも、親鳥かなんかと間違えるほど、ただ純粋に頼られているのが許せない。


 対等な友人であったのに。

 あんなにも強い魔法使いであったのに。


 数年経った今でもなぜ、と思う私は未練がましいのだろう。こんな、呪怨満ちた世界にしがみついているだろう。こんなおままごとまでして、チェイルとの結びを重んじている。私はチェイルといなければならない。


 それは、クラスメイトたちが好んで使う感情とは違う。彼を大切に想う気持ちはそういうものではない。私は彼を抱きたいとも抱かれたいとも、手すら繋ぎたいとは思わない。なんと表現していいかわからないが、それではない関係は友人と言うのだろう。


 またも好奇の目で言われるのは面倒だ。屋上へ行こう。学園の授業など、とっくに丸暗記している。何年も繰り返し、繰り返しここにいるのだから。


 私は口の中で呪文を唱える。私の魔法はチェイルみたいに強くないから、呪文も媒体も必要だ。ポケットから媒体を放り出し、呪文を乗せれば完成。これで少しの間、私の存在は薄くなる。からかわれる度に使ってもいいけど、こうも毎度だと……いっそ根こそぎ、記憶を取ってしまいたいが……私と違ってクラスメイトは入れ替わるから、そんなこと毎度していたら身がもたない。いちいちやるのも大人気ない話だし。こうして時々サボるくらいでちょうどいい。


 廊下で何人かの生徒や先生とすれ違ったけど、誰も私に気づかない。堂々と廊下を抜けて階段を上る。遠くから授業を開始する号令が聞こえた。授業にも「魔法」と付くものはなくなっている。七年前、魔法使いと同時になくなった。


 フィリス・アカデミーは、かつて魔法使いを育成する学園だった。


 魔法の才のある子どもたちが各地から集まり、正しい使い方や身体の向上、魔法をより具現化する能力を高めるために設立された。


 けれど、七年前のある日。魔法使いたちが忽然と消えた。誰にもさよならを伝えず、どこかへと消えた。それだけでなく、私たちの記憶の中にある魔法使いたちの姿さえ曖昧なものとなって、今までいた魔法使いたちはまるでおとぎ話の中にしか存在しなかったような、手触りのない存在と変わったのだ。


 今では魔法を使える人はもちろん、魔法について口にする人はほとんどいない。それこそ、まるで魔法にでもかかったように、記憶からもごそっと消えてしまった。

 魔法そのものが希薄になり、存在自体がまるっきり変わり、今では魔法自体もよく知らない人たちが集まる可愛い学園に落ち着いた。


 魔法なんて時代遅れ。そんな風にささやかれるほど、時間は価値を風化させた。


 けれど、魔法は七年だけで無価値になるほど適当なものではなかった。これでも、それでも、私たちは魔法に依存していた。なくてはならないものだったのがここまで存在が消えたのは、機械の発達があったからだ。


 魔法は使える人が限られているけど、機械は操作を覚えれば誰でも使えて、しかも便利さは同じ。高い人件費よりも高い開発費の方がよっぽどお得。


 ここ数年で開発がぐんと進み、値段もそこそこ安価になってきた。不要になった魔法使いたちは肩を落とし、どこか無人島に引っ越した、という噂が立つほど、魔法は見なくなった。


 いつか、言葉と共に、魔法は消える。


 そうなると、何が残るのだろう。人は残るのだろうか。かつて魔法を使っていた人も、消え去ってしまうのだろうか。魔法使いという言葉だけが消えていくのだろうか。


 ――風に流れて汽笛が届く。


 ポゥーと哀愁混じる音を私はなんとなく耳に入れる。授業中は気づかない音も、屋上ではよく聞こえる。この音はなんとなく好きだ。私にとっては、夜明けを告げる鳥の鳴き声に思える。今日は天気がいいから煙の筋も見える。たなびく細い煙はどこへ向かうのだろう。空に流されて、自由に消える。


 下の運動場では、生徒たちがマラソンをしている。他国との友好条約が結ばれてから、軍人育成のための訓練がなくなった。今では個人の体力向上のために行われている。


 何もかもが平和だ。魔法がある世界よりずっと快適。


 誰もが不満のないぬるま湯の世界、それはおもしろいほど理想が叶った世界に違いない。


 でも、でも、ここに私のいる世界はない。ここは私が願う世界じゃない。


 お人好しでバカで、そのくせ天才的な魔法の力を持つチェイルがいない。私にたくさんの世界を見せてくれたチェイルはいない。


 あの時見た、眩しい花の乱舞はもう見ることはない。魔法でなくては見れないあの花を、もう一度欲しいと願う私は、きっと、この世界にとって、異分子かもしれない。穏やかな平和よりもずっと魅力的だった不公平なあの場所。


 また、汽笛が鳴いた。


 目をそらし、手すりに背中を預けた。――あいつが、出た。


 スカートのポケットに触れて四角い箱を確認する。これが見られたら良くて休学悪くて退学または、相手の記憶を消すしかない。


 何がどうしてこれになったのかわからない――銘柄のない煙草が私の魔法を発動させる媒体だ。


 真っ黒に塗りつぶされた紙箱から煙草を一本取り出し、くわえる。簡易ライターで火をつけ、ゆっくり吸い込むと、喉と肺を小さな針がこれでもかと傷つけるような味がした。


 学園生徒が喫煙なんて知られたら品性を問われるだろうな。なんて、人ごとのように内心ぼやく。


 白い息を吐き出し、オレンジの火を揺らす。


 体内に問いかける。体調はどう? ご機嫌いかがかしら。うん、まあまあのようだ。


 浮かぶ火と煙で何を遊んでるの? と言われながら逮捕されそう。


 遊びだったらまだマシ。だって、ほら。


 灰色の雲が浮かんでいる。私の目の前、地面から一メートルくらいのところでゆらゆら、まるで震えているみたい。雲よりも、小さな生き物がオーガンジーのスカートをはためかせている、に近いかもしれない。半透明の奇妙な物質だ。


 これに名前はまだない。


 私と、魔法を覚えている人たちはこれを共通認識のために便宜上「残滓」と呼ぶ。


 魔法使いの残滓、と。


 今からこれを捕まえる。そして、今日こそ問いただすのだ。


『ねえ。あなたは何? かつて人の形をしていなかった? 魔法使いだったでしょう? なぜこんな靄になってしまったの?』


 って、私の中の解決がつくまで答えを絞り出してやる。


「私は魔法使いジーナ。真実のために我が身を捧げ、存在を偽る者。虚偽の口は魔を紡ぐ。魔よ、私を満たせ」


 呪文をつぶやく。正しく発動するための定型文もあるけれど、私は半人前だから定型文では発動しない。呪文は魔法を形にするための説明文。私はそれを、鼓舞するという形に変え、自身の魔法を形成する。


 煙草を吸う。煙が私の中に生まれる魔を掴み、外へと放出する。煙はオレンジの灯りと素早く混じり、糸を編むように交差を繰り返し、淡く光る網を作った。


 よし、いつもより網目が細かい。これなら。


「逃すか!」


 指を浮遊する残滓へ向ける。網は広がり、残滓を包んですぼまった。手応えはわからない。


 が、残滓はそのまま霧散し、蒸発した。


「今日もだめ……」


 魔法使いが消えてから浮かぶこの雲を、私は何十……何百見つけ、捕まえ損ねた? おかげで何一つ解決はつかない。私は何もできず、どこにも行けず、進むこともできずに、この学園を繰り返すしかないのか。


 この雲は、靄は、ねえ、人間だった成れの果てなの? 元は魔法使いだったの? ねえ……こうして消えるのは、死んでしまったからなの……?


「悲しくて涙が出る」


 どこかの三文芝居みたいにつぶやいて、煙草を踏み消す。


 私は魔法を使うたびに身体に問いかける。


 ハロー、元気? って。


  油断していると消炭になってしまいそうで、怖くて、やっぱり涙が出る。

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