バイバイ、わたしの魔法使い

一話



 煙草の火が女の口元を照らす。色のないくちびるがオレンジに染まる。それを男たちは黙って見ていた。

 見惚れるほど魅力的な光景ならよかっただろう。女が蠱惑的であればよかっただろう。しかし、女はまだ少女の面影を残す年頃であり、彼らは単純に動けないでいた。足元には煙草とは違う、青白い光がやんわりと輝いている。

 一人の男が生唾を飲み込みながら声を出した。魔法使いは消失したはずだ、と。女はそれに答える必要はないと判断し、黙って煙を吐いた。白い煙は一旦空へ進むと、まるで重みを含んだように男たちに落下した。ふわり、ではなく、ごとり、と鈍い音を立てた。あらゆる疑問が浮かぶ中、男たちはその場に倒れる、

 女は気絶した男たちを見下ろし、携帯電話を取り出した。ここ数年で機械の開発が一気に進み、一般市民にも電話という大変便利な通信ツールを手にできた。代わりに、今までの文明を支えていた魔法使いたちは全員いなくなってしまったのだが。

「終わったわ。酔っ払いくらいあんたたちでどうにかしてよ」

 スピーカーと雑音の向こうで声が返ってきた。手が足りなかったんだよ、ジーナ、と苦笑いした。念を押すように名前を言われ、ジーナはため息をついた。この分についても給与が発生するのだから文句は言わない。ジーナはボタンを押し、携帯をしまった。

 煙草を捨てる。足ですり潰すと、吸殻は跡形もなく消える。月のない夜にジーナの黒髪と黒服は溶け込み、地面に横たわる男たちのことは忘れ、踵を返した。後片付けはジーナの仕事ではない。

 歩いて自宅へ向かう。街の光は徐々に消え、夕飯の匂いも薄らぎ、家の並びが終わる。森に入る手前に小さな家がぽつんと建っている。窓から白い光が見え、ジーナは息を吐く。

 ドアノブに手をかける。鍵は開いていた。

「おかえり、なーちゃん」

「先に寝ててって言ったでしょ、チェイル。それに、鍵は閉めて。最近物騒らしいから」

 うん、とのん気な笑顔を浮かべるのは、ジーナよりも年上の男だ。長身と厚い胸板は男らしいが、顔立ちと表情と言葉は幼い子どもに近い。栗色のくせ毛が男をいっそう幼く見せる。見慣れていても、あまりに能天気な顔に今日の出来事がどこかへ行ってしまいそうだ。

 ジーナが黒いジャケットをハンガーにかけると、チェイルは身体をそわそわと揺すった。目に期待の光が揺れている。

「チェイル。何」

「あったかい紅茶。それも、ミルクを入れたんだ」

「それが?」

「なんと、俺が作ったんだ! お湯を沸かして、葉っぱを入れて、お湯を入れて、混ぜて、ミルク。だから、はい、なーちゃん。お仕事お疲れ様。飲んで欲しくて待ってたんだ」

 机を見ると、マグカップに湯気が浮かんでいる。強張っていた顔を緩めれば、紅茶の柔らかい匂いがした。

「夜までお仕事、いつもありがとう」

 チェイルは満面の笑みを浮かべ、椅子を引いた。座れということらしい。ジーナは気恥ずかしくなったが、チェイル相手に照れても仕方ないので素直に腰掛けた。

 マグカップを覗くと、茶葉が浮いていた。

「ねえ。ポットは? 茶こしは?」

「え?」

「まさか葉っぱごと飲むの?」

「ええと……そこは器用に避けて飲んでね」

 茶こしを出そうと腰を浮かせたジーナだが、そのまま腰掛けた。

「冷めるのは嫌だから、そうね、そんな器用さはないけど飲むわ」

 一口飲むと、こめかみが引きつるほど甘い味が走る。犯人のチェイルはにこにこと感想を待ち構えている。ジーナは顔の筋肉を総動員して笑った。

「おいしい」

「よかった! じゃあ俺も」

 チェイルは正面に座り、紅茶をすすった。チェイルは半分まで飲み、「甘くておいいしいね」と笑った。ジーナは何も言わなかった。

「さあ、もう寝ましょう。片付けは私がやるから」

「わかった。おやすみなさい」

「おやすみ」

 チェイルは部屋に入り、ジーナは紅茶をなんとか飲み干した。シンクに運ぶと、茶葉が散らばっていた。作るのに何度も苦戦したのだろう。慌てるチェイルが目に浮かぶ。ジーナは口の端しだけで笑い、カップを洗った。

 シャワーを浴び、清潔な衣類に着替え、ジャケットから煙草を取り出す。ブリキの缶に入った煙草の本数は残り五本。決して多くない本数にジーナは息を吐く。これがなくては、魔法が形にならない。

 体内で生成された魔法は物質を通すことで外に吐き出され、初めて形となる。ジーナは煙草を介すことで魔法が使える。一流の魔法使いなら煙草でなくとも、その辺りにある石ころでもフライパンでも何でも媒体にして具現化できるのだが、ジーナは煙草以外の媒体で魔法を成功させたことはない。

 それでも試しにと、鉛筆を手に念じる。

 魔法はイマジネーションだ。体内に沈む魔法を脳内のイメージに結びつける。目を瞑ることなく頭に形を浮かべ、それが現実化できるように魔法で形を作るのだ。ねんどで形を作る作業に似ている。脳内が鮮やかであればあるほど、現実へ生まれる力となる。

 ジーナは頭に火を浮かべる。赤く、青く、揺らめく、ろうそくの火。鉛筆に灯るよう、深く念じる。腹の底が熱い。胸焼けに近い吐き気が渦を巻く。目は閉じない。しっかり見開いて、現実にイメージの炎を呼ぶ。

「炎よ」

 魔法を生み出す瞬間、言葉はあった方がより形となる。ジーナは今日こそ、と指に力を入れる。爪が白む。

 しかし、鉛筆に炎が現れることはなかった。

「こんなの、チェイルなら簡単にできるのに」

 つい口からこぼれると、ジーナはくちびるを噛んだ。

 首を振る。チェイルはかつてのチェイルではないし、ジーナはどうやっても今は煙草しか形にならない。

 明日煙草を買いに行くことに決め、チェイルとは別の部屋に入った。