バイバイ、わたしの魔法使い

二話



 魔法使いたちが消失してから五年後の今、学園の教科書から魔法使いの記述が大幅に減った。

 この世界の文明を語るのであれば、魔法と魔法使いの存在はなくてはならない。

 しかし、魔法使いたちが一斉に行方をくらましてしまった。理由は未だ不明。一人ひとりに対する悲しみも大きく、魔法で支えられていた文明も一気にひっくり返ってしまった。

 悲しみを打ち消すかのように、魔法と魔法使いについて話す事はなくなりつつある。口にする人が減ったのだ。

 それには理由がある。一つ、魔法は媒体と言霊を介して出現するため、口にすれば何かしらの魔法が発動し、魔法使いたちが永遠に帰ってこないかもしれない不安。

 二つ、ここ数年、機械化運動が盛んに行われている。魔法は誰しも使えるものではない。魔法自体はそれぞれの体内に存在しているものだが、それを具現化できる人は限られた人のみ。機械はやり方と説明と理解し、スイッチを押せば誰でも扱うことができる。今まで魔法でしかできなかったことが、機械でできるようになったのだ。世界は機械を賛成した。

 ジーナは今、機関車に揺られている。魔法使いたちが消失する前に完成した乗り物だ。前は、移動を得意とする魔法使いたちによって行われていたが、今では料金を支払えば誰でも隣町に行ける。ジーナは機関車が気に入っていた。

 汽笛が鳴る。もうすぐ隣の街に到着する。外を見れば青い空と瑞々しい森、オレンジ屋根が並ぶ街並みが小さく目に映る。機関車を通すための線路は街の上方に作られたため、景色も含め、機関車は機械化文明の先導者であり、最も優れた発明品とされている。

 駅のホームに降り立つと、多くの人で賑わっていた。出る人、来る人、人で渦が生じる。ジーナはなんとかすり抜け、切符を駅員に手渡した。

 街も人の声であふれている。今日は晴天だ、みんな買い物に来たのだろう。

 アシャンという街名は大昔の言葉で「新鮮な」を意味する。緑と水が豊富で作物が育ちやすい。気候も穏やかで日差しもたっぷり。人々も明るく、声が大きなことで有名だ。あちこちにテントが並び、市場が開催されている。

 その中でジーナは目もくれず歩き進む。鮮やかな街に黒いジャケットは異質なせいか、時々不審な目が背中を刺した。けれどジーナは気にせず進んだ。

 人の流れがまばらになったところで、深緑色のテントが見えた。暗い色合いはこの街では人気がないようで、客は一人もいない。ジーナが近づくと、一人の老婆が顔を出した。

「いらっしゃい」

 と、愛想のない声と顔がジーナを見る。老婆の前には様々な色と形をした煙草が並んでいる。ジーナは細身で全体がベージュの煙草を取る。螺旋に巻いた、紙巻煙草だ。それを二十本。

「これで」

 老婆は訝るようにジーナを見上げた。への字に結んだ口は何も言わなかったが、腹では何を考えているかわからない。ジーナは内心「商売道具よ。仕方ないでしょう」とぼやく。煙草と酒は十五歳からとなっているものの、及ぼす害を考えれば二十歳以上が良いのでは、いや、そもそも無くすべきではと最近は言われている。十代のジーナが買うのは日に日に気がひける。

 金を出そうとして、大きな影がジーナの横に立った。

「おばあさん、これで」

 男がにっこりと微笑んで金を出す。二十代半ばあたりであろう、長身の男だ。舞台俳優のように整った、完全な笑顔を浮かべる。けれど老婆は顔を変えず、金を引ったくった。

「ご苦労さん、ジーナ」

 携帯電話からする声と一緒の男がジーナを見下ろす。ジーナは顔を歪め、店を出た。

「煙草はこちらで買ってあるから、わざわざ買わなくてもいいのに」

「自分で買うのが好きなの。気にしないで」

「気にするさ。使ってもらわなくちゃ、我が家で湿気る一方だ。僕は吸わないからね」

 男は穏やかな笑顔なのだが、ジーナの顔は暗い。彼、ウェイレーはジーナの中で苦手な部類に入る。ふわりとした言動に、どう話してよいものか戸惑う。

「ここに来ることは誰にも言ってないのだけれど、なぜここがわかったの、ウェイレー」

「そりゃあ君、僕はこれでも街の警察だよ。市民の動きは常に把握している」

「それって……。いや、いいわ。なんでもない。そういう事にしておくから。善良な警察官さん」

「そうとも。僕は善き警察官だからね。そこのカフェにでも入ろうか。コーヒーが美味いと評判なんだ」

 ジーナは断ろうとして、腕を掴まれた。逃げる気力が削がれ、仕方なく引っ張られる。

「いらっしゃいませ」

「やあ、どうも。二人ね。席は個室が空いていればそこで。あ、禁煙席で頼むよ。ホットコーヒー二つで」

 笑顔と柔らかい声だが、有無を言わせない。ジーナも息を詰め、ウエイトレスに着いて行く。

「よかった、個室が空いていて。これなら堂々といかがわしい話ができる」

「警察官でしょう。売春と間違われないようにして」

「君と。売春。うん、それは中々いい」

「よくないわ。要件は何。早くして」

「コーヒーがまだ届いていない。まあ、ゆっくり話そう。君のチェイルはお留守番くらいできるだろう?」

 ジーナはため息混じりに席に座る。個室といっても、壁で仕切られただけでドアのない、開放的な空間だ。ガラス張りの廊下から差す光が心地よい。

「さて、昨日の件について。酔っ払いの相手をありがとう。これはお駄賃ね」

「たかが酔っ払いで魔法を使わせないで」

「言った通り、人がいないんだ。許してほしい。警察官も魔法使いがほとんどだったからね。消失騒ぎから五年だけじゃ、人の補充は間に合わないよ。最も、あいつの最後の魔法のおかげで混乱は少ないんだけどね」

 二人は口を閉ざす。香ばしい匂いがする。フレンチプレスに入ったコーヒーが運ばれた。紅茶に使うしか見たことのない入れ物に、ジーナは思わず覗き込む。

「珍しいだろう。ここは唯一、フレンチプレスでコーヒーを出すんだ。少し酸味が出て爽やかだよ。渋みも少なく、後味がいい。豆も挽きたてだしね。葉巻と合う、なんて言う人も多いが、君は吸いたくなるかな?」

「好きで吸ってるわけじゃないから。吸わなきゃそれでいい」

「難儀な媒体だ。嗜好品であれば、魔法はもう少し楽しいものだったかもね」

「文明を支えたものが、楽しいの一言で終わるわけないでしょう。どちらにしても、楽しみなんてない」

「寂しい人生だな。とりあえず、コーヒーを楽しもう。蓋を押して。コーヒーの粉をゆっくり押すように」

 コーヒーの粉が揺れるフレンチプレスをじっくり押す。最後まで押し、粉が落ち着くのを待つ。それから繊細な模様の施されたカップに注ぐ。白い器の中では、普段見るコーヒーより薄く見える。ジーナはミルクと砂糖を少し入れ、口に含んだ。思った以上に渋みがなく、コーヒーとは別のもののように、爽やかさが喉を通る。

 驚いていると、ウェイレーが微笑んだ。整った顔は、通常の女性であれば胸が踊ったに違いない。意識しなくても頬が熱くなるだろう。けれどジーナの心は冷めていた。魔法使い消失から、ジーナの心は大きく動くことをやめた。

「気に入った?」

「美味しいわ」

「それはいい。人生にはあらゆる喜びがなくては」

 ウェイレーは何も入れずに飲む。しばらくして、「あれから」と話をし始めた。

「魔法使いがいなくなっても、犯罪は消えないものだ。むしろ小さな犯罪が増えてきたよ。脅威となる魔法使いがいないからね。おっと、勘違いしないで欲しい。魔法で拷問していたわけじゃないよ」

「聞いてないわよ、そんなの。私には関係ないわ。小遣いの元がいればそれで」

「人員を確保するにはまだ時間がかかる。魔法以外で活躍できる武器を作らなくてはね。それまでは君を頼りにさせてもらうよ。君とチェイルの生活費のためだ」

 ジーナは黙る。注ぎきれなかった残りのコーヒーを注ぐ。まだ冷めてはいない。

「けどね、ジーナ。こんな生活は続かない。今のチェイルを生かすためだけに小遣いを稼ぎ、生活する。まあ、それは普通の生活なわけだけど。生きることにゴールはない。死ぬまで物語は続く。どう生きるか。君たちはただ生きているだけだ。終わりを延長させるその生活はすでに破綻している」

「あんたから説教をもらう理由はないわ。例え雇い主でも。生きるために稼いで暮らす。何も悪い事はないわ。私はチェイルと暮らす、ただそれだけよ」

 コーヒーを飲み干し、机に代金を置く。先ほどの煙草の分もだ。

 ジーナが席を立つところまでウェイレーはのんびり見守り、いよいよ離れるところで声をかけた。

「ジーナ。君に良い知らせがあるよ」

 ジーナは耳をぴくりと動かした。けれど席を離れる。そこを、ウェイレーはにこりと笑った。

「魔法使いがいるみたいなんだよ。とある村にいるんだ。今日は食べなかったけど、ここのサラダ。使われている野菜を育てている。なぜ食べなかったって、今年は不作……いや、なんでだと思う?」

 ジーナはつい、足を止めた。止めた事を後悔し、ウェイレーを睨む。厄介なにおいだ。

「村人が亡くなってしまったんだよ。年寄りが多いのと、酷い風邪が流行してね。ほとんど全滅したんだそうだよ。でも、再び機能しているらしい。ほとんど噂だけどね」

 ウェイレーはコートの裏ポケットから紙を出す。駅名と村名が書いてある。ジーナは横目で見て、受け取らなかった。

「明日、僕の部下を寄越すから、どんなところか見て来てほしい。報酬は弾むよ」

「私である必要はないでしょう」

「金でつられないか。残念。君である必要はないけど、人手不足には違いないんだ。よろしく頼むよ、ジーナ。なんだったらチェイルも連れて行くといい。ちょっとしたピクニックさ」

 ウェイレーも飲み干すと、机の上の代金をジーナの手にねじり込んだ。ウェイレーの手は冷たく、ジーナはぞっとした。

「若い女の子と出かけるなんて滅多にないからね。今度はちゃんとデートをしよう。チェイルによろしく。最も、かつての友は僕の名前を出してもわからないだろうけど」

 ウェイレーは足音なく立ち去り、気配がなくなってから店を出た。外はまだ明るく、活気付いている。

 魔法使いたちが消えて五年。

 生まれた子どもが五歳になろうとも、あらゆる記憶が薄まるには短い月日だ。

 親が、子が、きょうだいが、友人が、魔法使いたちが揃って忽然と消えた。死んだのかさえわからず、姿を消した魔法使いたち。誰もが戸惑い、泣き、悲しみ、探したが見つからない。

 消失の日の事。ほとんどの人は覚えていないが、空が青色ではなく、黄金に輝いた瞬間があった。その光をジーナは知っている。それを起こした張本人も知っている。そしてその光が何を意味するのかも知っている。だからこそ、人々が混乱せず暮らしている事も知っていた。

「今日は魚が安いよ! 良い米もある。魚に米、最高の組み合わせだよ!」

 声につられ、ジーナは魚と米を買った。今晩の二人分のみを手から下げ、機関車の駅へ向かう。

 ただの日常を過ごすことの、何が悪いのか。生きるために稼ぎ、食し、寝る。その瞬間のありがたさは誰もがあるはずだ。何もない日常が続くことを望んでいる。

 魔法使いたちが消えても、魔法が機械に代わろうと関係ない――などと、最後の魔法使いであるジーナが考えていると知れれば、世界は何と言うのか。そんな想像さえ、ジーナには関係のない事だった。